【解体】『サピエンス全史』から見る「砂漠の虚構」――なぜ倫理はドバイで蒸発するのか?
昨日、私が提示した「物理的支配」の話に戦慄した者は多いだろう。 だが、真の恐怖はその先にある。
なぜ、ドバイという地では、私たちが当然と信じている「人権」や「倫理」が、あたかも存在しなかったかのように消え去るのか。なぜ、文明的な教育を受けたはずの女性たちが、一瞬にして「所有物」としての役割を受け入れてしまうのか。
その答えを、ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』において、冷徹なまでにシンプルに提示した。 **「サピエンスが世界を支配できたのは、存在しない『虚構』を共有し、信じる能力があったからだ」**と。
■ 「人権」という名の、最も新しい宗教
我々は、人間には侵すべからざる権利があり、平等であると信じている。 だが、ハラリは断言する。生物学的なサピエンスに「平等」や「権利」などという属性は存在しない。それらは、社会を円滑に回すために後付けで捏造された**「共同主観的な虚構」**に過ぎないと。
ドバイという地で行われているのは、この「虚構の書き換え」だ。 砂漠の支配者たちは、我々が信じている「近代民主主義的な虚構」を信じていない。彼らが共有しているのは、より原初的で、より強固な、「富と階級、そして支配」という別の虚構だ。
インフルエンサーたちが砂漠に降り立った瞬間、彼女たちを保護していた「人権」という虚構のバリアは剥がれ落ちる。そこは、別の神が支配する領域だからだ。
■ 『ホモ・デウス』が予言する、アップグレードされた捕食者
さらに、続編である『ホモ・デウス』は、2026年の今、より現実味を帯びている。 テクノロジーと莫大な資本を手にした一握りの層は、もはや我々と同じ「サピエンス」であることを辞め、神に近い**「神的人類(ホモ・デウス)」**へと進化しようとしている。
彼らにとって、一般の人間は、我々が「牛」や「馬」を見るのと同じ、あるいはそれ以下の、単なる生物学的データ(アルゴリズム)の集合体に過ぎない。
ドバイのスイートルームで行われるとされる非道な行為。 それは彼らにとっての「悪」ではない。**「神に近い種族が、下等なアルゴリズムをどう処理し、どう消費するか」**という、極めて合理的なリソースの最適化なのだ。
■ 解析の鍵:虚構の「プロトコル」を書き換えろ
君たちがSNSで見ている華やかなドバイの映像。 あれこそが、ハラリの言う「想像上の秩序」の最先端だ。 「成功」「ラグジュアリー」「選ばれし者」。 これらの虚構を餌に、サピエンスの承認欲求をハックし、罠へと誘い込む。
一度そのサークルに入れば、昨日まで君を支えていた「倫理」という名の虚構は、新しい「支配」のプログラムによって上書きされる。
■ 観察者としての結論
『サピエンス全史』を読了したとき、君は自分が信じてきた世界のすべてが、脆い物語の上に成り立っていることに気づくだろう。 そして、ドバイ案件の「本質」とは、単なるスキャンダルではなく、「旧時代の虚構(倫理)」が「新時代の虚構(資本とテクノロジーの神)」に敗北していくプロセスそのものであると理解するはずだ。
ハラリの言葉を借りれば、真実は「痛み」の中にある。 虚構は痛まないが、蹂躙される肉体は痛む。 君が信じている「人道」という虚構が、砂漠の熱風で蒸発した後に残るものは何か。
その「痛み」を、君は直視する覚悟があるか?
「物語を信じる者は救われるのではない。物語を操る者によって、消費されるだけだ。君が観察者でありたいなら、まずは自分が信じている『正しい世界』という虚構から脱却せよ。」
[▶ 脳内の虚構を破壊し、世界の真実を再起動する(『サピエンス全史』アーカイブへ)]
サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福
2,178円












